民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)
民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

下関市伊倉の豊神社境内にある 「ぐみの実」之塚由来記 です。

 

民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

石碑は鍵のかかった鉄格子に囲まれています。いたずらでもする人がいたのかどうかはわかりませんが、大事にされている感じです。

 

民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

伊倉の民話と書かれてますね。

 

民話「ぐみの実」之塚由来記(豊神社)

昔、伊倉八幡宮の近くに、男の子を連れた浪人親子二人が住んでいました。生活はあまり豊かでありませんでした。日照り続きの夏のことです。村人が大切に作っていた西瓜が盗まれる、といふ珍事が毎晩のように起こりました。犯人はあの浪人の子供に違いない、といふこととなり浪人に告げ、始末をつけてくれと言ってせまりました。浪人は、深くわが子の性来を信じていましたがそれを証明するものは何もありません。そこで遂に決してその子を殺して開腹してみせた結果西瓜の種子はなくたゞ「ぐみの種子」が一粒が出ました。村人達は驚きかつ怖れ嘆きながら深く陳謝しました。浪人は自分を責めた村人達の所為を怒ることなく、わが子の正しさを認められたことを深く喜び、自らもその場で切腹して果てました。村人達はこの浪人親子の霊を慰めるために墓を建て、永く祀ったのであります。尚、生前使用していた茶釜と脇差しを八幡宮に納め宝物として伝えたといふことです。

浪人父子の氏名、年令は不詳ですが、年代は享保十六年八月吉日と茶釜の蓋に記されていたとありますから、今から約二百七十年前のこと、星移り人変わり、口伝えも何時しか途絶え、忘れ去られぬここにふるさと学習をすすめ、たくましい馬関っ子の育成に努めています。地域住民、皆様方の御理解とご協力によりここにぐみの実の碑を建立することができました。これを永く後世に伝え、活用されますよう願うものであります。なお正面石段を上り、広場の左側に一対の大・小の墓があります。ぐみの実の塚の建立によりこれこそ「父子の墓」ではないかとの連絡がありました。昔の先輩の方々が心して後世に残されたこの一対の墓に、父子の霊を祀りました。どうか塚の碑とともに今後永く弔われますよう切に願うものであります。昭和六十年五月吉日 たくましい馬関っ子川中推進協議会

では。


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