椹野川の修工を伝える東津の碑 ふるさと小郡たずねある記100選その89
椹野川の修工を伝える東津の碑 ふるさと小郡たずねある記100選その89

椹野川の修工を伝える東津の碑 ふるさと小郡たずねある記100選その89

椹野川の修工を伝える東津の碑

椹野川の東津にある石碑です。駐車スペースがないので立ち止まる車はありませんねえ。左右に東津橋の名を刻んだ親柱、真ん中に石碑、右に碑文の解説があります。

 

椹野川の修工を伝える東津の碑

見えてませんが手前方向に東津橋があります。道のむこうが柳井田方面。道路の右方向に椹野川があります。

 

椹野川の修工を伝える東津の碑

椹野川は長門阿武郡を源流として、吉敷郡仁保、一の坂、問田川からなり嘉川にいたって海に入る大河である。長雨になると毎年のように川の氾濫が起こり、天保十一年には堤防の決壊は七か所にも及び、嘉永三年(明治七年)の洪水では民家も流出して大きな水害であった。吉敷郡の庄屋林勇蔵は当時の知事関口隆吉に椹野川の治水を請うた。知事は村々の疾苦を知り内務省に陳情し、そしてオランダの技師モルトルによって調査された。
(中略)
防砂工事四所、堤工事二十一所、流れの矯正、川幅変更十五所を十二年を要し明治二十九年完成した。(中略)
工事は既に終わり、十村の住民は始めて平穏無事にすごせることとなった。ここに年月を碑に記し後世に伝える。(中略)明治三十三年秋分の日(現地の説明版による)

では。


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