嘉万史跡公園
嘉万史跡公園

嘉万史跡公園

嘉万史跡公園

駐車場には大きな表示が出てます。ほとんど誰も訪れないと思いますが、きちんと整備されています。

 

嘉万史跡公園

全景です。

 

嘉万史跡公園

遺跡は一度破壊すると、二度と私たちの前に甦ることはありません。埋め戻して保存しても、その価値に触れることはできません。国秀遺跡では、憩いと学習の広場として多くの人に活用していただくため、発掘された記録に基づき忠実に復元し公園として整備しました。
○発掘された住居や炉のあとを保存するためにいったん、砂を入れて埋め戻し、さらに50cm程盛土して、その上部にそのままの形で復元してあります。
○復元の手法として「発掘された状態を見せる」ものと「当時の生活を再現してみせるもの」を組み合わせました。
○園路沿いには、それぞれに説明を付けています。
○公園内の植栽は、当時の村の雰囲気が漂うよう配慮しました。
今、ここに復元整備された古代の国秀の村は、全体のほんの一部ですが、ここに立ちながら、集落全体の景観を皆さんの想像の世界で創って見て下さい。(現地の説明板)

 

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「統一新羅系土器」
統一新羅系土器は、6世紀頃から朝鮮半島の南東部を治めていた新羅の、後期の陶質土器です。この国秀を代表する大変珍しい土器は、この場所にある7世紀前半の住居跡から見つかりました。(現地の説明板)

 

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「遺構復元。」
7世紀から8世紀前半にかけての遺構です。邦英では度々河川が氾濫していますが、この遺構もそれによって西側が分断されています。また氾濫がおさまったのちに、住居を建てた跡もみられ、人々が自然と戦いながら生きていたことがうかがわれます。

 

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「炉復元」
古墳時代から奈良時代にかけての遺構からは銅塊や炉跡、スラグ(金属精錬の際に出るかす)が見つかっています。国秀集落はこの炉を使って金属加工を盛んに行っていたようです。金属加工では普通、農耕具・馬具・装身具を造りますが、国秀では何を中心に造っていたのかは、はっきりしていません。(現地の説明板)

 

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「竪穴住居の内部」
半地下式なので多少の湿気はありますが、温度は一定して冬でも暖かく、夏は涼しく感じられるつくりです。

 

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風がものすごく強くて、動画も撮影したのですが、風の音で声がかき消されるのでアップするのを断念しました。

では。

(撮影日2010.05.14)


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