吉田宰判勘場御茶屋跡
吉田宰判勘場御茶屋跡

吉田宰判勘場御茶屋跡

吉田宰判勘場御茶屋跡

吉田宰判勘場御茶屋跡は吉田旧街道から住宅街へ一本入った道筋にあります。

 

吉田宰判勘場御茶屋跡

壁は崩れていて、建物は原型をとどめていません。

 

吉田宰判勘場御茶屋跡

こんな感じです。いずれ全部崩れ落ちてしまいそうです。

 

吉田宰判勘場御茶屋跡

藩政時代(1600~1870)萩藩毛利の領地は18の宰判に分かれ、統治されていた。吉田宰判はそのひとつで統治区域は吉田、厚狭、末益、松屋、津布田、宇津井、山野井、今浦、伊衛、山中、於福、河原、大嶺に及んでいた。
(中略)
御茶屋は勘場に隣接し、公儀の役人や参勤交代途中の大名の休泊所であった。幕末には奇兵隊の屯所としても使われた。(現地の説明板による)

では。

(撮影日2009.01.28)


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