忌宮神社の末社。
荒熊稲荷神社由緒
文化・文政年間、長府藩十一代藩主毛利元義公が江戸参勤交代の帰途、京都の伏見稲荷大社に詣でて御分霊を勧請し、産業の繁栄を祈願した。嘉永元年(一八四八)に現在地に遷して社殿を再建、以来広く信仰をあつめ、特に勝運・失せもの発見に霊験あらたかと伝えられている。十一月三日の例大祭の奉納相撲は「長府の三日相撲」として世に知られ盛大に行われて来ているが、昭和四十九年大相撲の魁傑関が参拝して九州場所で優勝して以来、放駒部屋一行が毎年参拝して賑わいを見せている。平成二年十一月、「御大典記念事業」として社殿を改築御造営。無病息災・家運隆昌・商売繁盛を祈念する崇敬者の参拝が絶えない。(現地の説明板による)
では。
(撮影日2008.10.25)