住宅街の中にある駐車場から歩いて来ると雲谷庵の入り口があります。
この細い路地の奥に雲谷庵があります。
ここは室町時代の画聖雪舟のアトリエ雲谷庵の跡です。雪舟は一四二〇年に備中の赤浜(現在の岡山県総社市)の生まれで、若くして僧籍に入り、後に京都にでて禅を学ぶかたわら絵を学んだ。雪舟は四〇才頃にはすでに第一流の画家として名声も高く、さらに大きい希望をもって絵を勉強するために当時中国、朝鮮から新しい文化が入ってきていた山口に住むようになりました。
路地も雲谷庵も静かに緑に囲まれています。
その後応仁元年(一四六七)に遣明船に乗って中国に渡り、三年間中国に滞在しました。日本へ帰った後も山口に住みアトリエ「天開図画楼」を開いて画禅一致の生活をしました。雪舟六七才の時生涯最大の力作国宝「四季山水図」も此処で描いたものです。雪舟の没年や場所には諸説がありますが、永正三年(一五○六)八七才の時この雲谷庵で没したといわれています。
障子が開けられていて、中を見ることができるようになっています。
雪舟詩語庵は荒廃しましたが、大内氏の跡をついだ毛利氏が雪舟画脈の廃絶を惜しみ雲谷宗家にこの地を与えましたが、明治になって廃絶しました。そこで郷土史家の近藤清石等が中心になって有志と図り、明治十七年(一八八四)に大内時代の古材を集めて一字を再建しました。現在の庵がそれです。(現地の説明板による)
入り口から見えていた横長の水墨画。
説明板。
左に回って奥に行ってみます。
続きます。
(撮影日2009.08.26)