山口十境の詩その3「南明の秋興」(なんめいのしゅうこう)
山口十境の詩その3「南明の秋興」(なんめいのしゅうこう)

山口十境の詩その3「南明の秋興」(なんめいのしゅうこう)

「南明秋興」(なんめいのしゅうこう)

大内の乗福寺内にある「南明秋興」の詩碑です。「日本を訪れた明使趙秩は、文中元(1372)年冬から翌年10月にかけて山口を訪れ、その景観を十境として漢詩に詠みこみました。現在も当時の景観をしのぶことができる場所が残されています。」(大内文化まちづくり~甦れ歴史空間~)

 

「南明秋興」(なんめいのしゅうこう)

漢詩なのでそのままでは読めないのですが、右に説明版があって、下のように記されています。

金玉(きんぎょく)の楼台、翠微(すいび)を擁(よう)し
南山(なんざんの)の秋色(しゅうしょく)、両(ふた)つながら輝(き)を交(まじ)ふ
西風(せいふう)、葉(は)を落(お)として雲門静(うんもんしず)かなり
暮雨(ぼう)、来(き)たらんと欲(ほっ)して僧未(そういま)だ帰(かえ)らず

 

「南明秋興」(なんめいのしゅうこう)

その下には「南明秋興の由来」が書かれています。

金箔や珠玉をちりばめた、
美しく高い建物に、
山のみどりのもやがうっすらとかかり、
乗福寺の境内の秋景色は、
楼台と翠微との彩が照り映えて、えもいわれぬ。
折から一陣の秋風が吹いて
樹々の葉を落として通りすぎ、
高くそびえる山門のあたりは静寂そのもの。
夕暮れの雨が降りそうな気配がするのに、
寺の和尚は未明になってもまだ帰ってこない。

大内御堀の南明山乗福寺の秋景色を詠んだ詩である。乗福寺は二
十二代大内重弘による開基で、境内には琳聖太子の供養等、大内
重弘・弘世の墓がある。
なお、詩の意訳は山口市在住の郷土史家荒巻大拙氏による。

 

「南明秋興」(なんめいのしゅうこう)

それとその下には山口十境詩の場所と題名がかれています。情景が目に浮かぶような叙情的な漢詩です。ただ今の乗福寺の風景とは違うような気がしますが、この詩を読むと秋にまた来てみようかという気になります。詩碑は駐車場の右隅にあって、樹木の陰で薄暗くなっています。後ろに見えている階段は詩にあった乗福寺山門へ続いています。

では。


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