大正通り
大正通り

大正通り

大正通り

下関市上下水道局の前の道を上田中に向かって曲がると、左に新開町通りの石碑があります。そこを通り過ぎると右手に大正通の石碑が見えて来ます。ここから入って、南下して三百目に向かって伸びる道が大正通りです。

 

大正通り

入り口すぐ横の商店。

 

大正通り

じりじりとした暑さ、店が閉まっていて、人の気配はなく、通り過ぎる車もほとんどありません。夏の昼下がり。歩いていると汗ばかりでます。

 

大正通り

道の両側は家がまばらに並び、すぐ丘陵というか土地が高くなっていて、上から覗くと谷になったような場所に道が伸びてる感じです。家の間には空き地があったり、木が生い茂っていたり電波塔らしきものが立っていたり。廃屋があると思えば、新しいアパートが建っています。

 

大正通り

狭い道の両側には背の高い建物が建ってます。

 

大正通り

植物で覆われつつある民家。

 

大正通り

名陵中学校へ上がる道の入り口に「大正道路開通記念碑」がありました。「大正元年八月建立」とあります。横に円山二丁自治会の告知板があります。円山町と言えば梅光女学院高校の前のあたりかと思ってましたが、地図を見るとここは梅光女学院高校の裏にあたるようです。

 

大正通り

この建物も高台にありますね。

 

大正通り

ここは元商店だったのでしょうか。

 

大正通り

途中にある大正通りの石碑。

 

大正通り

なんの変哲もないアパート。壁のペンキははげかかり、入り口の扉の前はブロックで区切られ、風を入れるため開けてある窓からは高校野球のテレビの音が流れてきます。この風景どこかで見た記憶があって立ち止まりました。

そう、3~7歳頃まで住んでいたアパートがこんな感じでした。2軒横の仲のよかった女の子が小学校に行きだしたのに、なぜ僕は行けないんだろう。遊んでいたと時と同じように一緒に学校に行きたいのに。不思議で不思議でしかたありませんでした。その子の名前も顔も忘れてしまったのにその悔しかった事は覚えています。私には彼女が1つ年上だった事ががわかrなかったんですね。こんな風なブロック塀。上に上がったり、飛び降りたりして遊んでました。木も生えてました。家の前には三輪車やその他ごちゃごちゃ何か置いてあったような記憶があります。

 

大正通り

名前からすると大正時代には賑わっていた道なんでしょうか。

 

 

大正通り

汗をかきかき光禅寺の前まで来ると三叉路になっていてここで大正通りは終わりです。ここから引き返します。ときおり車が通り過ぎますが、道が狭いので脇によけなければなりません。往復で1kmちょっとくらいでしょうか。いい汗をかきました。

では。


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