手水舎。水の出口が手前にあって、水の流れ出る音が聞こえています。木陰になっていて涼しい風景。
昭和五十五年に接触事故で倒壊して翌年修復したと書かれてあります。
水を汲む位置が一般的な手水舎に比べて高い位置にありますね。龍の口から水が流れ出ています。水道の蛇口がそのままのところもありますが、でなければこういった龍が多いですね。
おや、ここにも山頭火の句が。「あかるく あたたかく 水のよいところ」
水道水ではなかったようです。「銘水 亀峰水」と書かれています。深い山からまさ土を通して流れくる清浄な水です。「こんなうまい水があふれている 山頭火」禅昌寺は山頭火ゆかりの地なんでしょうか。
・・・・・・・・・・其中日記(青空文庫より)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
九月十九日
曇、五時前に起きて朝飯の支度。
酒があまつてゐたので朝酒、いつものやうにうまくない、呪はれた山頭火!
敬君は下関へ出張、駅まで見送る、戻つてから、預つた愛犬Sと遊ぶ。……
ハガキが来たので鯖山の禅昌寺へ、大山君に会ふために。
○犬と遊ぶ、――随筆一篇書けます。
○単調と単純、――それはすなはち、世間生活と私の生活。
ヤキムスビ、――犬に十分与へておいて残飯をそれに。
澄太君からのハガキで、同君が鯖山の禅昌寺に出張してゐて、そしてとても訪ねてくれる余裕がないといふので、こちらから出かけて、逢うてくるつもりで、田舎道を歩きだしたが、いやはや濡れた/\困つた/\、『雨はふります、傘はなし』と子供にひやかされたりして、――とうてい、行きおほせないので、湯田の温泉で、冷えたからだをあたゝめてから、また濡れて戻つた、はだしであるいて。
ひそかに心配してゐたSはおとなしく留守番をしてゐた(最初はやりきれないらしかつたと見えて、座敷の障子をつきやぶつて室内にとびこんだらしい、その障子のやぶれも何となく微笑ましいものだつたが)、彼にも食べさせ、私も食べた。
○何といふおとなしい犬だらう、上品で無口で、人懐かしい、犬小屋は樹明君がいつか持つてきた兎箱、二つに仕切つてあるから一つは寝室で、一つは食堂、そこには碗一個と古筵一枚、――それで万事OKだ!
水音がどこかにある、虫の声が流れるやうだ、溢れてこぼれるやうだ、寝覚はさびしい、しかしわるくない。
○物の音が声に、そして物のかたちがすがたにならなければウソだ、それがホントウの存在の世界だ。
○酔ひたい、うまいものがたべたい、――呪はれてあれ。
・・・・・・・・・・其中日記(青空文庫より)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山門前の右側。手水舎の前にある石碑。誰の歌でしょうか「白梅の香やみ仏の袖たもと」
石碑には「宗歌」と刻まれてます。
山門に掛かった扁額。
山門の説明板。
応永三年(一三九六年)当時の開創当時に建立されたものを独住九世門厳禅師の代(一七三〇年)に修造したもので、壮大かつ簡素。全国でも珍しい様式である。山門上の扁額「亀岳林」は明の高僧心越禅師(徳川光圀公が師事した人)の書である。山門の向って左に聳える山を亀尾峰といい、それにちなんで多くの修行僧のいたこの叢林を亀岳林とよぶ。山門丸柱 聯の書は「竹密にして流水の過ぐるを妨げず。山高こうして豈白雲の飛ぶを礙げんや。」とあり自己への執着を断ちきれば、天地間にさまたげるものは何もないということ。参りきて 心澄みゆく禅昌寺 木のま あかるき 玉の水音(赤松月船)
続きます。