鞆の浦の史跡と尾道の町並みを散策する旅 その1サヨナラダケガ人生ダ。
鞆の浦の史跡と尾道の町並みを散策する旅 その1サヨナラダケガ人生ダ。

鞆の浦の史跡と尾道の町並みを散策する旅 その1サヨナラダケガ人生ダ。

お好み焼

この27日~28日に尾道~福山方面に旅行に行ってきました。初日は鞆の浦、2日目が尾道です。どちらも街全体が観光地なので2日間とも歩いてばかりでした。鞆の浦は平地でそんなに疲れなかったのだけど、尾道は坂道ばかりで疲れました。わかってはいたんだけどね。

旅行の計画した時から、坂道を上るのは大変だとわかっていたので、千光寺公園の駐車場に車を止めて、下りながら観光しました。尾道で昼ごはんを食べたお好み焼き屋では、「私らは上るより下るほうがきつい」、と言われたのだけど、その通りでした。

急な坂道だったので、前のめりで歩かないといけなくて、足の前の方に力が入ったのでバランスを取りにくかった。登りのロープウェイはたったの3分ほどですが、下りは約2時間かかりました。お昼は先ほど書いたようにお好み焼き屋さんでとりました。

家人がせっかく広島に来たので広島風お好み焼きを食べたいと言ったので「おのなび」というサイトで調べて最初に出ていたお好み焼き屋に入りました。スタミナ焼きというのを頼んだのだのだけど、おかみさんがいなくて気難しそうな感じの主人が結構気安く話しかけてくれました、お客はほとんど観光客ぽかったですね。

 

尾道薬味

お客は年配の女性客が多かったのだけど、私みたいにネットで調べたのではなさそうです。どうやって店を見つけたのでしょうか。で、ご主人と会話している時に目の前においてあったこの「尾道やくみ」を知りました。魚粉が入ってるんだと教えてもらったので、大量にかけてみたのだけど、辛かった。そりゃそうだ。一味に魚粉が入っているだけだもの。

で、ロープウェイ乗り場の手前に土産物屋があったので、中にはいって探してみたらレジの近くにあったので「げんこつ饅頭」と一緒に買って帰りました。価格は525円でした。お土産価格なのかな、結構高いです。「げんこつ饅頭」はネットには情報がなかったのだけど素朴で美味しかった。もし尾道に行って、饅頭が好きなら買っても損はしないと思います。

 

桜の香水

帰りのロープウェイは運良く乗り込むと同時に出発しましたが気が付くと中は満員で動くことも難しかった。こんなに人が多いとは思いませんでしたね。千光寺公園まで戻って頂上の売店で「さくらの花ソフトクリーム」を食べました。「瀬戸内みかんソフトクリーム」「はっさくみかんソフトクリーム」というフレーバーもありましたが、千光寺公園といえば桜ですからね。

「さくらの花ソフト」はフレーバー的にはみかんやはっさくよりレアじゃないかと思います。味ははっきりして濃くて桜の味は堪能できたのだけど、味が濃すぎて家に帰り着くまで胃の中で桜の味がしました。ソフトクリームを食べながら思い出したのが10年くらい前取引先の方から貰った「桜の香水」です。確かここの公園の桜から作られていたはず、と探すと季節はずれだけどまだ置いてあったので1本買って帰りました。

左の桜色のボトルがその桜の香水です。右にある同じような赤のボトルは昨年長崎の出島に行った時に買った「マダム・バタフライ」という香水です。どっちも資生堂が作っているのでボトルは似てますね。資生堂はあちこちでご当地香水を作っているのですかね。

 

井伏鱒二

さて、旅行に行くと地元出身の文学者の生家や資料館などを見る機会が多いです。もちろんベタな観光地にも行きますが、それだけでは面白くないですからね。

尾道といえば林芙美子と志賀直哉と中村憲吉(この人のことはよく知らない)でした。では、福山はというと、誰だろうね。すぐには思いつかなかったのだけど、初日鞆の浦の後「ふくやま文学館」へ行ってみました。

同じ敷地内に美術館や歴史博物館、福山城などがあって、全部回るほど時間とお金がなかったのでこの「ふくやま文学館」と福山城にだけ入ってみました。地元ではみなさんご存知なのかもしれませんが、福山出身の文学者といえば井伏鱒二のようです。

「ふくやま文学館」ではちょうど「没後二十年記念特別展」をやっていました。没後二十年?!。もっと昔の人だと思ってましたね。テーマは「サヨナラダケガ人生ダ」。

井伏鱒二の小説はタイトルしか知らなかったのだけど、文章と文献と解説が同じ所に展示してあるので、充分理解できたしとても楽しめました。いい展示だと思います。「なだれ」という詩を始めとした「厄除け詩集」がとてもよかったです。ユーモアがあって、目の前に風景が広がってとてもいい文章だと思いました。残念ながら井伏鱒二の本はすぐに買える状態にないようですが、本を買って読んで見たいと思わせました。

はなにあらしのたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

漢詩の翻訳らしいのですが、井伏鱒二はあちこちでこの言葉を書いています。よほど気に入っていたのでしょう。私はさよならだけが人生とは思わないけれど、それは個人の考え方感じ方だからね。

では。