霊巌洞に向かって 更に奥へ歩いていきます。道は山のように高くなって、また降りてさらに続きます。
落ちないように気をつけていきました。滑りそうでちょっと気をつけます。
石塔らしきものが見えてきました。ここが霊巌洞です。
灯籠と「二天一流の由来」と刻まれた石碑がありました。
さあ、この階段の上ですね。いよいよです。
急な階段になってます。
階段の左。
階段は左右に2つあって、これは左側の階段です。順路としては右の階段から登って左の階段を降りてきます。
階段を上がって霊巌洞の中です。開いているこの扉の下に階段があります。思っていたより明るくて広々としています。
霊巌洞 – 【満遊!くまもと】 これを読むと宮本武蔵だけが使った洞窟ではなさそうです。
宮本武蔵が霊巌洞にこもって五輪書を書き始めたのは寛永二十年(1643年)武蔵60歳の時で1645年には完成したとのこと。
入り口の上の報の壁全体です。
これは霊巌洞の正面です。暗くて中はよく見えませんが、たいして奥行きはなさそうです。こもっていたということですが、こもって五輪書をかいていたということで、ここで生活していたということでははなさそうです。いまでいう缶詰になって原稿を書いてた感じかな。書斎代わりだったのでしょうか。
左奥角の方。
奉納演武の宣伝ポスターがありました。この演武は霊巌洞ではなくて熊本市総合体育館で行われるようです。
左側の壁回りです。ベンチがおいてありました。
そして邪魔だったんですが、洞窟のど真ん中に巨岩がありました。
洞窟から見下ろすと先ほどまで洞内にいた女性が歩いて戻っていくいるのが見えました。
続きます。