人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を見ました。
人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を見ました。

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を見ました。

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

引き続き万田坑です。
雨が強くなってきて、傘をもってきていなかったので、頭にハンカチを載せて歩きました。旧正門です。おや、ハンカチがありません。写真を撮っていて気付かずに落としたみたいです。あわてて、ここから戻ります。万田坑正門を入るとすぐ巻揚機室があるのですが、その前にガイドの男の人がおられたのですが、その方の前に落ちてました。拾い上げるとその方がすいません気が付かいませんでした、と言われてのですが、気にしなくていいです。緑色のハンドタオルなので遠目では落ちていてもわからないですから。無事にあってよかったです。(以前高知旅行に行った時買ったばかりのミッキーマウスのハンドタオルをなくして、家人に怒られたことを一瞬思い出しました。)

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

家人は先を歩いて戻っていたのですが、雨に濡れながら追いつこうと足早に歩いていると、来るときはガイドに間に合うよう急いでいて気が付かなかったのですが、あったのがこれ、桜町トンネルです。「1933(昭和8)年に建設された、熊本県荒尾市と福岡県大牟田市を結ぶ生活通路(地下通路)です。構内の地下を東西方向に走り、壁は切石(一部は煉瓦積み)で積まれ、入り口は幅2.7m、高さ2.4m、全長130m。天井はコンクリートで覆われ、一部に明かり取りが設けてあります。」これすごく便利そう。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

万田坑ステーションまで戻って来ました。最初にここで万田坑の知識を入れて見たほうが良かったような気もしてましたが、ああ、あれね、見た、見た、ということで、後のほうがよくわかりました。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

入り口の自販機。特別バージョン。売上の一部が世界遺産支援に使われるそうです。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

万田坑の歩み。「1897年(明治30年)11月23日第一竪坑開削着手。」とあります。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

昭和天皇が昭和24年5月29日視察に来られた時の写真がありました。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

櫓の模型。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

黒いダイヤ、石炭。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

ステーショの真ん中にどーんとあるジオラマ。この正面の壁際に椅子がおいてあって、映像を見られるようになってました。これはある程度見学者がいるときに係の人が流してくれます。これは絶対に見るべきですね。文章で読むよりよくわかります。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

荒尾市の炭鉱の歴史。パネル展示。万田坑での採炭終了は1951年(昭和26年)、閉山は1997年(平成9年)。右のパネルには平成27年のユネスコ文化遺産の登録を目指す、と日本語、英語、ハングル、中国語で書かれています。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

右には写真が展示してありましたが撮影禁止でした。

 

人で溢れる前に行ってきたよ、三池炭鉱万田坑。その6万田坑ステーションで映像を

雨の中帰ります。帰り際に観光バスがやって来ました。

では。