大内義長が教会建設の許可を与えた書状の写しを石碑にしたものです。
亀山公園国木田独歩詩碑の手前にあります。階段のすぐ横です。
大内義隆の庇護のもとに山口においてキリスト教の布教に当つていたフランシスコ・サビエルは一五五一年、後事を弟子のトルレスらに託して九州に渡った。その後山口では陶晴賢の乱が起こり義隆は討死した。晴賢は大内氏の跡つぎとして九州の大友義鎮の弟、義長を迎えて大内氏を継がした。義長は九州でサビエルに会っていたので一五五二年山口に来ると早速トルレスに教会建立の裁許状を与えた。これにより山口に日本最初のキリスト教会が建立されたのであつた。その裁許状は当時写してヨーロッパに送られたが、それが一五七四年のケルン版ラテン語「東洋イエズス会書簡集」に掲載されている。この碑はその本から複製したものである。(現地の説明板から)
では。
(撮影日2009.05.27)