関門トンネル人道を歩いてきました。その5ノーフォーク広場(門司港レトロ16)
関門トンネル人道を歩いてきました。その5ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

関門トンネル人道を歩いてきました。その5ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

九州の一番北にあるノーフォーク広場。目の前に関門海峡、関門大橋が見えます。対岸の下関もよく見えます。潮の流れはとても速くて荒いです。海峡が狭いせいでしょうか。

 

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

広場のど真ん中に、 重さ4500kgの碇が飾られています。ならんだベンチには思い思いに人が休んでいます。夕陽で照らされた関門海峡を次々と船が通り過ぎます。

 

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

ノーフォークという名前はアメリカバージニア州にある北九州市の姉妹都市からとられています。

 

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

姉妹都市 ノーフォーク市
昭和33年(1958年)2月、大阪商船の新造船「ほのるる丸」が、ニューヨークへの処女航海の途上、門司港に寄港した際、旧門司市から風師人形が贈られました。その後同船がノーフォーク港に入港したおり、優雅な風師人形と門司市のことが現地の新聞に紹介されました。当時のノーフォーク市長は、門司市との親善を深めたいと、ノーフォーク市の象徴であるロイヤルメイスの複製とメッセージを「ほのるる丸」船長に託して門司市長あてに送りました。これがきっかけとなって両市の交流が始まり、昭和34年(1959年)7月14日、姉妹提携に至りました。

 

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

この関係は昭和38年(1963年)の旧五市合併後、北九州市に引き継がれています。ここにあるブロンズ製の紋章は、ノーフォーク市の市章で、上の帆船は海を、中央の農機具は陸を、下の束ねられた収穫物は海と陸からの富を表しています。昭和61年(1986年)10月、ノーフォーク広場が開園した際、ノーフォーク市との末永い交流を祈念して、ノーフォーク市から寄贈されたものです。(現地の説明板による)

 

ノーフォーク広場(門司港レトロ16)

続きます。

(撮影日2008.12.17)


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