千林尼大休指月石畳道(せんりんにたいきゅうしづきいしだたみみち)を歩いてきました。
かつて小野田地方から楠町舟木に行く往還道として人や荷駄が往来し、指月道と呼ばれていた。険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かねて舟木逢坂観音堂の堂守千林尼が自ら托鉢して浄財を集め、小野田・宇部市を含む旧厚狭郡内数カ所に石畳を敷いたり、川に橋を架けた。この石畳もその一つで、文久二年(1862)八月に完成した。敷石の長さ約二六〇メートル、幅一・五メートルで、その一部が残っている。千林尼は、宇部市西岐波区大沢に生まれ、十六歳で結婚、間もなく不縁になり仏門に入った。安政四年(1857)逢坂観音堂に、晩年は山陽町吉部田の「玉泉庵」に移り、明治二年(1869)ここで亡くなった。(現地入り口の説明板による)
「千林尼大休指月石畳道」は舟木から小野田に抜ける道の途中、舟木ゴルフクラブ近く道の拡張工事が行なわれている場所の近くに石畳入り口があります。目立つところに説明板があるのですぐわかります。入り口の右は住宅になっています。
入り口から200メートルほど竹林を歩いていくと、石碑と石畳案内の杭が建てられていました。一番上の写真です。雑草はきれいに刈り取られて道は歩きやすいです。
石畳はところどころ陥没しています。この石畳のは長くないですね。すぐ下の写真の場所にでます。
この日あは雨が降って地面はぬかるんでずるずるでした。石畳のない場所は靴が濡れた枯れ草と土の中に沈み込みます。
千林尼の時代も雨が降ると地面はぬかるんでとても歩きにくかったことでしょう。
ここで石畳は唐突に終わります。この先は竹林が広がっているだけで道はもうありませんでした。
では。
(撮影日2009.01.17)