「あんな船の大きな汽笛だつた」 山頭火
下関市のカモンワーフの駐車場の隅っこにある山頭火句碑です。カモンワーフの中ではないのわかりにくいです。これは最近建てられたもののようです。
十一月廿三日 曇、時雨、下関市、地橙孫居。
相変らずの天候である、朝の関門海峡を渡る、時雨に濡れて近代風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至どつしりした姿も、――そして下関駅頭の屋台店(飲食店に限る)、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。約束通り十時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊が多くて、主客二人では句会にならないで(マヽ)、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神――字義通りの――もおかしがつたであらう。下関から眺めた門司の山々はよかつたが、
近づいて見て、登つて観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。『当然』に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はたゞ『必然』に生きてゐる、少くとも此二筋の『句』に於ては、『酒』に於ては!・燃えてしまつたそのまゝの灰となつてゐる風の夜の戸をたゝく音がある 風の音もふけてゐる散財か 更けてバクチうつ声 あすはあへるぞトタン屋根の雨 ・しんみりぬれて人も馬も 夢がやぶれたトタンうつ雨 ・きちがい日和の街をさまよふのだ ・ま夜中の虱を這はせる あの汽車もふる郷の方へ音たかく 地図一枚捨てゝ心かろく去る すこし揺れる船のひとり きたない船が濃い煙吐いて しぐるゝ街のみんなあたゝかう着てゐる しぐるゝや西洋人がうまさうに林檎かじつてゐる あんな船の大きな汽笛だつた しぐれてる浮標(ブイ)が赤いな 風が強い大岩小岩にうづもれ 吹きまくられる二人で登る 好きな僕チヤンそのまゝ寝ちまつた(源三郎居) ・このいたゞきにたゞずむことも ・水飲んで尿して去る 水飲めばルンペンのこゝろ ・雨の一日一隅を守る (行乞記 青空文庫)
では。
(撮影日2009.01.28)