「いつしか明けてゐる茶の花」この句碑は其中庵入り口にあって、訪れる人を静かに迎えてくれます。字体がくずれているので、判読するのにしばし立ち止まります。奥に見えている建物が其中庵です。其中庵のまわりには山頭火が住んでいたときも同じようにあったのでしょうか、柿の木、や梅、オゴオリザクラが植えられています。また、庭には「寝牛の碑」、奥に山頭火が水を汲んだ井戸があります。山頭火の句碑は小郡や防府だけでなく本当にたくさんありますね。
寝牛の碑
この句碑は山頭火の没後一〇年にあたる昭和二五年、大山澄太、伊東敬治、国森樹明など当時の友人等によって其中庵跡にたてられた。其中庵に残された大理石の寝牛の置物にちなんで、栄山公園の谷間から形の似た自然石を選び出した。そして、山頭火の師である荻原井泉水によって「春風の鉢の子一つ」の句が選ばれ、仮名書きで刻まれた。平成四年三月、其中庵の復元に伴い、現在地に移設された。(現地の説明板による)
山頭火の句碑は小郡地域内だけで20数ヶ所ある。その1号が其中庵庭にある「はるかぜの はちのこひとつ」である。山頭火が其中庵に落ちついた翌年の昭和8年3月19日に作った。はちのことは僧の持つ「鉄鉢」のことである。句碑は昭和25年10月、句友の大山澄太らが建てた。石は栄山公園から、筆は山頭火の師・萩原井泉水による。(「ふるさと小郡たずねある記」)
其中庵の井戸
其中庵のほとりにあるこの井戸は、雨乞山からの水脈にあたり、深くはないが常に湧いていた。山頭火は、庵を構える場所の条件の一つに、水の良いところをあげていたが、其中庵の周辺の水は、遠方から茶席用にくみにくるほど味のよい水だったという。雨の翌日などは濁り、隣からもらい水をしていたというが、日々の山頭火の生活を支える水はこの井戸から得られた。
やっと戻ってきてうちの水音
(「其中庵日記」昭和九年四月二九日)
朝月あかるい水で米とぐ
(「其中庵日記」昭和一〇年九月一三日)
いま汲んできた水にもう柿落葉
(「其中庵日記」昭和一〇年一〇月四日)
(現地の説明板による)
これはオゴオリザクラ。
では。
(撮影日2009.02.06)