山口市大内長野にある二義少年の碑、その横にある長野八幡宮の鳥居です。道幅は車がやっと1台通れるほどの狭さです。
二の鳥居。
鉄製でサビがでて読みにくい説明板です。
長い参道は緑で覆われ夏の草いきれが充満してます。
とてもかわいかったので蛙の写真を。 写真を撮った日はとても暑かったのですが、参道は結構日陰が多くて快適に歩くことができました。本堂の右に草むらの奥に松尾芭蕉の句碑があって、いかにも、という感じでしたね。
この社の縁起は社伝によると寛治3年(1089)に長野の長者、平忠平というものが大分の宇佐から勧請したものといいます。室町時代に大内弘世が修理した社殿は、永禄12年(1569)大内輝弘が山口に乱入した時焼失したといわれています。今の社殿は元文年間(1736~1740)に建てられていたものです。境内には弘化4年(1847)建立の山県太華の文による長野八幡祠碑があります。(「ふるさと山口」)
改修途中で鉄骨で囲まれてました。
拝殿内部。
続きます。