袖解橋(そでときばし)
袖解橋(そでときばし)

袖解橋(そでときばし)

袖解橋(そでときばし)

井上馨が襲われた場所には遭難の地の石碑が建てられています。ここからすぐ横の道を入ったところです。

 

袖解橋(そでときばし)

道路を挟んでみたところです。この道路は山口情報芸術センター(中央図書館)の横の道で、湯田温泉駅に通じているので車の往来は多いようです。橋というからには川にかかっていたものだと思いますが、すぐ横に水路が流れていて、これにかかっていた橋が袖解橋なのでしょうか。

 

袖解橋

袖解橋(そでときばし)のいわれ

今から六百年ばかり前、山口で大内氏が栄えていたころ、秋穂街道は秋穂の港から山口に通じる主要街道でした。この道は別名御上使道(ごじょうしみち)とも呼ばれ、秋穂渡瀬(あいわたせ)をわたって此処から山口の町に入りました。全国各地から山口に登城した侍たちは、ここまでくると狩衣(かりぎぬ)、直垂(したたれ)の袖をくくっていた旅装を解いて身づくろいをして山口に入りました。そこでこの橋の名を袖解橋(そでときばし)というようになりました。碑の歌は、明治時代の歌人田辺玄齢のものです。「旅日地の橋の名におう袖ときて 水に姿をうつしてやみし」(現地の説明板による)

では。


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