JR山陽本線新山口駅から防府方面に行き椹野川の手前右側にJR山陽本線の下を通るトンネルがあります。そのトンネルの一部は赤煉瓦で作られています。
この横は今はJRバスの営業所になっていますが(他にも建物があります)、私が小学生の頃は、国道2号線と山陽本線の間は、広い国鉄のグランドで建物はありませんでした。
2号線から小川ぞいの道を歩いて、このトンネルをくぐるとO君の家がありました。
私の家からは小学生の足ではかなり遠い距離だったのですが、仲がよかったのでたびたびO君の家まで遊びに行ったものでした。
O君の家はお菓子の卸屋さんで、いつもお菓子であふれていて、うらやましく思ったものでした。
O君とはいつも一緒に遊んでいて、とても仲がよかったのですが、同じクラスのT子さんを同時に好きになってしまって、T子さんはO君が好きだったようです。
小学~中学生になるにつれて、しだいに離れていきました。O君、今何をしているのかな。椹野川の土手からこのトンネルの方を見ると、当時と変わらない風景が広がっています。
椹野川からの用水がJR山陽本線の下を通るところに、長さ約40mのトンネルがある。うち8mが明治33年(1900)、山陽鉄道が敷設されたときつくられた。当時は単線で、それを示す赤い煉瓦ぐみが今に残っている。設計したのは名田島出身の鉄道技師佐藤謙之輔で台湾や全国各地の鉄道発展にも力をつくした人である。(ふるさと小郡 たずねある記100選)
では。
(撮影日2009.06.24)