旦の登り窯(だんののぼりがま)
旦の登り窯(だんののぼりがま)

旦の登り窯(だんののぼりがま)

旦の登り窯(だんののぼりがま)

山陽小野田市指定文化財の旦の登り窯です。

旦の登り窯(だんののぼりがま)

旦地区では、日本舎密(せいみ)製造株式会社の製造する硫酸を入れる容器を、明治26年から生産していました。

 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

一時は30社近くの製陶業者がありましたが、時代の流れとともに、ステンレスやポリタンクなどに取って代わられ、製陶業は衰退しました。

 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

登り窯の中。広いです。

 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

これは登り窯横の石垣ならぬ瓶垣です。

 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

登り窯の回りには、硫酸瓶がごろごろしています。

 

旦の登り窯(だんののぼりがま)

天保の末年(1840年頃)都濃郡富田の人・甚吉が、旦の給領庄屋作左衛門宅に奇寓、周辺の畑土をみて、「この土なら焼物がつくれる。」と語ったことから、前原一誠の父佐世彦七が援助、「登り窯」を開いたのが起源。(中略 続く)この登り窯は、とんばりと呼ばれる煉瓦造り。大口から煙突までの長さ28.6メートル、幅7.5メートル、煙突の高さ12.3メートルで製品を焼く10袋の窯と火力の調整を行うふかせ1袋の構成。窯では硫酸瓶や焼酎瓶などを焼き、ふかせでは消し坪や焙烙などを焼いた。(現地の説明板による)

では。

(撮影日2008.10.07/2009.02.18)