渡し場跡
渡し場跡

渡し場跡

渡し場跡

木屋川の渡し場跡です。すぐ横がゴミステーションになっているのであまりいい景色ではありません。目の前に石柱が見えています

 

渡し場跡

木屋川に橋がなかった頃は、ここから対岸へ船で往き来したので渡場と呼ばれるようになった。明治十八年(一八八五年)新国道がここを通ることとなって石橋が架けられた。なお、明治三十三年(一九〇〇年)山陽鉄道開通のため、上流に鉄橋が架設された。また、昭和二年(一九二七年)国道改良事業で新しい国道が計画され、鉄橋の上流にコンクリート橋が架けられた。この辺りの河川敷は広々としていたので、いろいろな行事に使用され、毎年開かれていた農具市は、「宇津井市」とよばれ、サーカス一座などの見せ物興業も行なわれ、近郷から多くの人々が訪れ盛大であった。河口の三角州には、大正十二年(一九二三年)豊田製陶所の分工場ができ、陶器が生産されていた。その後、本工場となり生産を続けていたが、昭和三十七年(一九六二年)閉鎖された。近年、河川敷の改修工事によって、当時の渡場としての風情はない。(現地の説明板による)

 

渡し場跡

では。

(撮影日2009.04.15)


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