国道2号線を小郡方面から防府方面に向かうと長沢の池の手前で積水ハウス山口工場が見えてきます。この工場の前に広大な空き地が広がっています。
その空き地が周防鋳銭司跡跡。説明版が工場側と、反対側に2ヶ所に建てられています。
ここ山口周防鋳銭司は、その地名が語るように「銭を鋳る司(役所)」があったところです。鋳銭司は。「じゅぜんのつかさ」「ちゅうせんし」とも読まれていました。『類じゅう三代格』には、天長二年(八二五)四月七日に、長門国(現在の下関長府)にあった鋳銭司を、周防国に移したとの記録が残っています。その後、十一世紀の初め頃までの約二百年間にわたり、銭を鋳造していたと考えられています。日本では、奈良時代から平安時代にかけて、「皇朝十二銭」と呼ばれる十二種類の銭が造られますが、ここ周防鋳銭司では、富壽神寶からけん大寶までの八種類の銭が造られたと考えられます。昭和四十一年、四十六年、四十七年に発掘調査が自死され、数多くの遺物が見つかっています。出土品の一部は、平成十四年三月二十五日に山口市指定文化財となりました。(現地の説明板)
何もなくて、これだけだだっ広いところなので、ここに展示館か何かの施設を造れば観光客も呼べそうです。
では。