史跡の道その6 仁馬山古墳
史跡の道その6 仁馬山古墳

史跡の道その6 仁馬山古墳

史跡の道その6 仁馬山古墳

考古博物館の前から綾羅木郷台地遺跡の前を通り、上の山古墳を過ぎてかなり歩きます。綾羅木よりというよりは、新下関に近いところです。

 

史跡の道その6 仁馬山古墳

道が狭いので車で行くと迷ったとき、にっちもさっちもいきません。私は道が広くなっているところに止めて歩いて探しました。

 

史跡の道その6 仁馬山古墳

人家のとぎれた竹林の中にありました。分かってしまえば少し先の広場みたいな所で駐車できます。

 

史跡の道その6 仁馬山古墳

たけのこをとるな、と書いてありますが、このあたりは竹林だから古墳の上にたけのこが生えてくるのかもしれませんね。

 

史跡の道その6 仁馬山古墳

史跡の道その6 仁馬山古墳

 

史跡の道その6 仁馬山古墳

史跡の道その6 仁馬山古墳

史跡の道その6 仁馬山古墳

国指定記念物 仁馬山古墳 指定年月日 平成3年5月15日
本古墳は、響灘に注ぐ綾羅木川右岸の郷台地上にあり、台地の南縁に沿って前方部を西に向けた前方後円墳である。
全長は74メートル、後円部径46メートル後円部は三段に築造されている。前方部はかなり短小で、前方部の長さは後円部径のほぼ二分の一となる。前方部の北側には濠の痕跡かとみられる凹地があり前方部をはさんで陪塚と思われる小円墳二基がみとめられる。
郷台地周辺には史跡綾羅木郷遺跡内の若宮古墳など多くの古墳が見られるが、本古墳は若宮古墳と同じ五世紀に築造された下関市内最大の古墳である。ここに埋葬された被葬者は、関門の要衝を含む豊浦一帯を統治した大豪族の首長と考えられる。なお、本古墳の東北約70メートルのところには植松古墳がある。山口県下では数少ない方墳として貴重であり、あい前後した築造時期が想定される。 山口県教育委員会(現地の説明板による)

続きます。

(撮影日2009.04.15)


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