有富古墳の場所は少しわかりにくいです。植松古墳から北に向かって、いったん247号線に出ます。新下関方面に向かって歩いていき、ショッピングセンター「コスパ」が見えてきたあたり、潰れたパチンコ屋の建物が見えてきます。このパチンコ屋の駐車場の奧、セメントの壁の上にこの古墳があります。他に道がないようなので、1メートル以上あるこの壁をよじ登らなくてはなりません。私は飛びついた時ポケットから携帯電話とカメラを落として傷つけてしまいました。力を込めてよじ登ったので手のひらが少しすりむけてしまいました。もし行かれるなら、手袋を持って行った方がいいかも。それと藪の中は暗いので懐中電灯がいりますね。
古墳の回りは竹林で、古墳そのものから竹が生えているような状態です。ほとんど人の手は入っていないようです。
あたりは薄暗く肉眼では古墳の存在さえよくわかりません。このままだと古墳は近いうちに消滅するのではないでしょうか。
綾羅木川を中心として広がる、沖積層平野の北側丘陵には多くの遺跡が残っています。特に綾羅木郷遺跡、仁馬山古墳、上ノ山古墳等は、本市の主要遺跡として知られています。
有富古墳は、この丘陵地の北東に接するハンドウ山のすそに位置し、明治32年(1899)の調査の際、有富古墳群として五基の円形墳が発見されましたが、現在では二基を残して他は消滅しています。
横穴式石室を持つ古墳は、墳丘、石室とも旧状をよく保っており、二段築成で墳丘が築かれています。玄室は胴張りがほとんどなく。石材は小さいものを使用し、奧壁は一枚の板石を使い鏡石としています。直径十二メートル、高さ六メートルの規模を持つこの古墳は、六世紀頃に築造されたもので、本市でも代表的な円形墳としてその形状をとどめています。(現地の説明板による)
続きます。
(撮影日2008.09.21)