神社仏閣紀行

水天供養塔(赤間神宮)

投稿日:2009/07/09 更新日:

水天供養塔(赤間神宮)

赤間神宮大安殿の左、宝物殿の前を通って平家塚に行く途中に水天供養塔があります。

 

水天供養塔(赤間神宮)

安徳天皇は御位のまま御入水され水天皇・水天宮と申し上げます。吾が国民は天皇の御守護のもと斯く永らへ安心して冥黙も出来ます。同時に亦国民同胞の中に或は海難に水難にと幾多の水歿者の方々は即ち水天皇さまの御膝元に冥りたく、此の石塔の台石下に幾多の小石に名を留めて納められています。人は名を留むる事に依り安心を得るもので即ち是を水天供養塔と申します。 一.昭和二十五年三月建立 二.今次大戦中水歿者霊位 赤間神宮十三重御宝塔

 

水天供養塔(赤間神宮)

水天供養塔の由来の説明板。

 

水天供養塔(赤間神宮)

供養塔の奧の山林は「自然記念物 赤間神宮紅石山樹林」になっています。
本樹林は、スジダイ、ハマセンダン、コバンモチなどの高木層、スジダイ、クロキ、イヌビワ、サカキなどの亜高木層、イヌビワ、ハクサンボク、ネズミモチ、カクレミノなどの低木層及び、テイカカズラ、ベニシダ、ナキリスゲなどの低木層で構成されています。(抄、現地の説明板による)

 

水天供養塔(赤間神宮)

供養塔を右に見て正面に二つの石碑があります。

 

水天供養塔(赤間神宮)

上の方が其桃翁の句碑です。

 

水天供養塔(赤間神宮)

「神もあとたれて千歳に 月かなし」其桃翁 翁の姓は西尾、名は弥三郎、俳号を三千堂其桃と称す。明治元年一月十八日播州明石郡垂水村に誕生、のち下関市で医をもって業とす。十三、四歳より俳諧に親しみ、無名庵弟十七世の道統を継ぐ。昭和六年四月八日逝去六十四歳 昭和五十七年十月吉日 創刊五十周年を記念して 其桃社一同

 

水天供養塔(赤間神宮)

下の句碑は「黄桜に及ぼす神の光かな」漁陽

では。

(撮影日2008.10.25)


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