厚狭中学校にあがる坂のふもとにある小さな神社。鳥居の横の桜の木。天を目指して立っています。
桜の幹には消えかかった説明板が貼りつけられています。「出世の飛び段 頃は明治明治の初期、神社の境内は子供たちの格好の遊び場になたていました。」と書かれていました。右の木には「豊神の一本桜」その後文字は消えかけた上に葉に隠れていて読めませんでした。これは出世の飛び桜でなくて段なので、境内にある階段のことを指しているのでしょうか。
桜の木の横には庚申塚。この鳥居の手前にも階段があります。奥の階段をあがったところに小さな祠があります。この祠が豊上神社なのでしょうか。この小さな祠の左には説明板らしき看板が建てられていましたが、白いペンキで塗られて真っ白で由緒書きなどは何もかかれていませんでした。その白い説明板の横には「毛利就盈公拝領之地」と書かれた杭が建てられていました。毛利就盈(もうりなりみつ)は厚狭毛利家の七代目(1739-1776)ですが詳しいことはわかりません。
この幹は半分腐ってるんじゃないでしょうか。明治の頃この神社で遊んでいた子供たちが出世したという伝説でもあるのであればなんともロマンのある話です。
では。