山口市仁保上郷の県道わきにある嘉村磯多の生家です。江戸末期に建てられたという茅葺き屋根の民家です。
嘉村礒多は明治30年(1897)12月15日裕福な農家の長男として生まれ、昭和8年(1933)11月30日、36歳の短い生涯を閉じました。
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最近になって遅ればせながら嘉村磯多の小説を読んでみました。iPhoneの青空文庫アプリ skybook がディスカウントされていたので購入し、「崖の下」「足相撲」をダウロードして昼休みに読んでみました。「格調の高い特異な文体」ということでしたが、旧かなづかいにもかかわらすすらすら読めましたね。iいわゆる私小説ですが、どちらもそれなりに興味深い話で面白かったですね。
鼠色のきたない雨漏りの條(すぢ)のいくつもついてゐる部屋の壁には、去年の大晦日(おほみそか)の晩に一高前の古本屋で買ひ求めた、ラファエル前派の代表作者バアーンジョンの「音樂」が深い埃を被て緑色の長紐で掛けてあつた。正面の石垣に遮られる太陽が一日に一回明り窓からぎら/\と射し込んだ。そして、額縁に嵌(は)められた版畫の中の、
薔薇色の美しい夕映えに染められた湖水や小山や城に臨んだ古風な室でヴァイオリンを靜かに奏でてゐる二人の尼僧を、黒衣の尼さんと、それから裾を引きずる緋の襠(うち)かけを纒うた尼さんの衣を滴(したゝ)る燦(あざや)かな眞紅に燃え立たせた。圭一郎は溢れるやうな醉ひ心地でその版畫を恍惚と眺めて呼吸をはずませ倚(よ)り縋(すが)るやうにして獲がたい慰めを願ひ求めた。現世の醜惡を外に人生よりも尊い蠱惑(こわく)の藝術に充足の愛をさゝげて一すぢに信を獲る優れた悦びに心を驅つて見ても、明日に、前途に、待望むべき何(ど)れ程の光明と安住とがあるだらう?
とどのつまり、身に絡(から)まる斷念の思ひは圭一郎の生涯を通じて吹き荒むことであらうとのみ想はれた。
(「崖の下」段落は読みやすいように変えました。)
目の前に情景が浮かぶような文章ですが、これは心の中を描いたもので、結局よくわからない主人公の思いが綴られているばかりですね。駆け落ちしてきた(不器用な?)男の生活の話なので、明るいはずのない話です。内容は別にしても、こういう文章は私には書けないですね。
生家手前の道路には石のレリーフがあります。こんな顔だったんだ、ということが分かります。
では。
(撮影日2009.05.27)