ここまで来ると一の宮方面が見えています。左の上の方の空き地は卸団地の裏の空き地。
ずっと下まで降りてくると、ゴミステーションの前に「右 内道」と書かれた石碑があります。
こちら側から見ると「左 新町方面道」「大正八年七月」と書かれてます。新町とつく地名はたとえば長崎新町とか綾羅木新町とかたくさんありますが、この新町はどこの新町方面なんでしょうか。
でここが、山越えの道の出口です。正面の標識を右に行くとすぐ椋野トンネルです。ここから引き返します。
来るときには気が付かなかったのですが、民家の庭の石垣にこんな瓦が埋め込まれてました。鼻が長くないので天狗じゃなさそうです。
地名表示の上が切れてますが椋野町1丁目の表示。
椋野遊園地の跡あたりまで戻ってくると、中学生が歩いていて、この住宅街に入って行きました。行きは気がつきませんでしたが、新興住宅街っぽい新しい大きな家が立ち並んでいます。
ある家の玄関横にあった句碑。「もみじ モミジ 楓 かえで科」 と書かれた右に「もみじ葉を 散らすしぐれに 濡れて来て 君が黄葉を かざしつるかも」「久米女王」と書かれてました。
上の家の奥にあった公園。「椋野町タウン2号街区公園」と書かれてました。この住宅街は椋野町タウンというらしいです。
で、最初の道まで戻ってきて椋野トンネルの真上まで降りてみます。ここは出口。
ここは入口。
近くにあった洒落た民家。外壁の上に時計がついています。
では。