誰が袖の手水鉢
誰が袖の手水鉢

誰が袖の手水鉢

誰が袖の手水鉢

まだ香山公園の中です。これは露山堂。この建物は茶室ですね。

 

誰が袖の手水鉢

文久三年(一八六三)四月、萩藩主毛利敬親は幕末の政情に処するため藩庁を萩から山口に移し、今の県庁のところに政治堂を建てた。そのとき政事堂近くの一露山の麓に茶室を設け、一露山の一の字を省いて露山堂と名付けたのがこの建物である。(説明板による)

 

誰が袖の手水鉢

門を中に入ると昔なつかしい雰囲気。縁側があります。子供の頃住んでいた家に雰囲気だけは似てますね。これよりはかなり狭い庭でしたけど。

 

誰が袖の手水鉢

で、ここにも説明板がありますが・・・・。

 

誰が袖の手水鉢

近づいて読む前に、建物の前にある池を。

 

誰が袖の手水鉢

「誰が袖の手水鉢」「水琴窟」と書いてあります。なかなか詩的な名前です。

 

誰が袖の手水鉢

音もしないし、水琴窟はどれかわからなかったのですが、手水鉢はこれかな。

 

誰が袖の手水鉢

横から見たところです。斜めになっていて安定が悪そうに見えますね。

では。