洞春寺本堂の左から墓地に回って一番奥にある井上馨の墓です。
井上馨は、長州藩士井上五郎三郎の次男として、天保六年(一八三五)湯田に生れ、長じて藩主の小姓役になった。幕末国事多端なるに当り、同志と共に東奔西走して大儀を唱えた。文久年間(一八六一~一八六三)同藩の伊藤、山尾等と共に英国に留学し、一年後に帰国し、藩論沸騰の際に当り、反対党に襲われて重症を負ったりした。維新後は中央政府に出仕し、外務大臣、農商務大臣、内務大臣などを歴任し、また実業界にも尽くす事が多かった。大正四年九月一日八十一才興津で没した。墓は東京麻布の長谷寺にあるが、その分骨をここに分け墓がつくられた。(現地の説明板による)
いくつか墓が並んでますが、井上馨の墓は真ん中です。
奥から見たところ。
太陽の光が差し込んで読みにくいですが、墓には「従一位大勲位侯爵井上馨分霊塔」と刻まれていますね。
これは右にある婦人の武子の墓です。「侯爵夫人井上武子分霊塔」と刻まれています。いずれも別の場所に墓があってここは分骨されたものが納められているとのことです。
では。