マッドマックスをHULUで。
1979年は大学を卒業して4年間イた大坂から、会社のある広島県の呉に引っ越しをした年です。呉での生活は会社の寮での生活だったので、アパートに置いてあったものは捨てて、ほとんど身一つで行きました。それでも困りませんでした。
そして1979年は映画”マッドマックス”が封切られた年です。
会社では今になって思うのですが、同僚も上司も本当に素晴らしい人たちでした。私も一人前になろうと頑張って頑張って頑張って、そして一人前になる前に頑張れなくなって、仕事をやめて故郷へ帰りました。人には向き不向きが会って、向いていないことはいくら頑張ってもうまくいかないことに気がついたからです。
映画の中の”マックス”のように同僚を、妻子を殺されたわけではないので、会社をやめる理由、私が人生に絶望した理由は誰にもわからなかったと思います。
紆余曲折があって、1981年、再就職して大阪に舞い戻っていた年に”マッドマックス2”が封切られました。仕事は楽しいけれど忙しくて、毎日深夜まで仕事をしてました。仕事は苦しくはなかったけど若くても体はきつかった。
私の事が気になったのか高校時代の友人が東京から遊びがてら陣中見舞いに来てくれました。仕事しかしてなくて、遊びに行くところも知らなかったので、映画ならなんでもよかったのですが、見に行ったのが”マッドマックス2”でした。
伸び盛りの業界で、その中でも伸びていた会社だったので、競争は激しかったのですが、みんな若くて、疑いを知らず、ひたすら働いていました。そして、失敗して、絶望して、どん底で、今思ってもよく死ななかったと思います。死ぬことさえ思い浮かばなかった。
この映画は最後の10分のためだけに作られたようなものです。心の声がマックスと離れるなよ、アイスクリームなんか買いに行くなよ、一人で泳ぎになんか行くなよ、と叫ぶのだけど行っちゃうんだよね。遠目で写されているので、残酷さはないんだけど、子供が殺されたのには間違いないんだよね。
B級映画の極みなのですが、絶望したマックスの姿は美しいです。復讐に燃えている時の姿は美しくない。楽しい映画でもスカッとする映画でもないけど。絶望だけで希望はないんだけどね。心に残ります。
新作が出たので古い1~3がHULUで見られるようになったんだと思います。2作目、3作目はこれから見ます。
では。