跡だから看板以外何もない「前田砲台跡」
跡だから看板以外何もない「前田砲台跡」

跡だから看板以外何もない「前田砲台跡」

前田砲台跡

ここには看板があるだけです。空き地ですね。ここも中国電力の敷地になるのでしょうか?周りは全部そうなので。見学者用の駐車場が2台分あります。現在は関門海峡との間にマンションが建っているので、ここから船を攻撃することは無理です。

 

前田砲台跡

「前田砲台」は外国船来航などにより緊張が高まった幕末に、長州藩が諸外国の排除を目的とした攘夷戦争に備えて十数ヶ所に設置した砲台のひとつです。関門海峡に面した茶臼山山麓の標高10mほどに設置された低台場と標高16mほどに設置された高台場からなり、青銅製の大砲(長州砲)20門を設置した中心的軍事施設でした。文久3(1863)年5月、長州藩は攘夷(諸外国の排除)を決行し、関門海峡を通過する米仏蘭の艦船に対し、海峡沿に設置した砲台や軍艦から3度にわたり砲撃を加えました。しかし、翌6月には、米軍艦が報復処置として長州藩の軍艦を砲撃、沈没させたのに続き、仏軍が前田砲台(低台場)を攻撃、破壊しました。この攻撃後、低台場の補修と高台場の急造がなされ、前田砲台は補強されましたが、翌元治元(1864)年八月五日、英米仏蘭の四国連合艦隊が集結し、再度関門海峡沿いの砲台に対して砲撃を加えました。この激しい攻撃により、長州藩は大敗を喫し、前田砲台は連合軍に占領されました。砲台関係施設はことごとく焼き払われ、設置された大砲はすべて戦利品として接収されました。(現地の説明板による)

 

前田砲台跡

いわゆる下関戦争ですね。長州砲のレプリカはみもすそ川公園に展示されています。駐車場のすぐ上には2号線側に前田台場跡、行啓記念碑があります。中国電力の寮の中庭には皇太子殿下駐駕之處があります。

 

前田砲台跡

これが国道9号線から見える看板です。見た目は大きいですが、9号線からは目立ちませんね。

では。

(撮影日2008.12.24)

追記

ニュースによると2009年1月8日に「世界遺産登録推進協議会」専門委員会メンバーのマイケル・ピアソンさんが下関・前田砲台跡など視察したそうです。ここだけでなく、萩反射炉や旧英国領事館なども視察したようです。「近代化産業遺産群」の視察と言うことです。歴史の流れの中で判断するというような発言されてるようですが、歴史的意義がある場所であって、これじゃね。だって残っている物が何もないものね。世界遺産といえるかどうか、私は言えないような気がしてます。