ミイラになりそうに暑かった岡山と広島を巡る旅 その9生口島の耕三寺へ
ミイラになりそうに暑かった岡山と広島を巡る旅 その9生口島の耕三寺へ

ミイラになりそうに暑かった岡山と広島を巡る旅 その9生口島の耕三寺へ

ミイラになりそうに暑かった岡山と広島を巡る旅 その9生口島耕三寺へ

ホテルを出たのは朝8時半。しまなみ海道を通って生口島の耕三寺駐車場に着いたのは10時15分でした。駐車場は無料で平山郁夫美術館と兼用で直ぐ目の前がそうでした。雨がぽつぽつ落ちてました。
以前行った時の記憶が鮮明で、また行ってみたいね、と家人と話していて、四国旅行の帰りに時間があったら寄ってみようと思いながら、結局ついでということでは実現できなかったので、今回行くことにしました。

 

ミイラになりそうに暑かった岡山と広島を巡る旅 その9生口島耕三寺へ

道路は広くて石畳で歩きやすい。

 

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土産物屋さんがありましたが、前回来た時となんか雰囲気が違います。

 

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道の角まできました。前来た時はここに駐車したような気がします。ここを右折します。

 

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あたりはとても静か。これも前来た時と感じが違いますね。前回来た時は商店街の中を通ってこの通りに出て、さらに奥の先ほどの駐車場に止めたような気がします。来た方向が逆だったようです。それで賑やかな感じがしなかったのでしょう。

 

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これです。見覚えが有りますが、なんだかくすんだ感じがします。初めてきた時はきらきら輝いていて、とても派手でびっくりした記憶があります。

 

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この日は消火器の入れ替えを行っていました。山門の前には消火器がずらりと並べられてました。写真を撮るために待っていたのですが、来て帰るまでの間、ずっとこのままでした。

 

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山門の左右には蓮の花が一面に咲いてました。

 

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大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を営んでいた技術者で実業家の、耕三寺耕三が母親の死後、母への報恩感謝の意を込めて、自ら僧籍に入り菩提寺として昭和10年より生涯を掛けて建立したお寺です。
ともに世の中のすべてのお母様にありがとうと心から手を合わせる「母の寺」として親しまれています。

(オフィシャルサイトから)

 

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中門に向かいます。

 

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手前にあったのが六字の生活。どれにも「ニコニコと」とついてます。

 

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羅漢堂西

 

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羅漢堂東

 

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中門を通りすぎて中に入ります。左は万葉の庭、右は蓮池の庭。大きな蓮が左右に広がってました。

 

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これは1999年に息子と家人とで来た時のスナップです。このときは人がとても多かったです。
しまなみ海道が開通した直後だったからでしょう。

 

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続きます。