山口市内を散策してきました。その11龍福寺本堂下の発掘現場を見た。
山口市内を散策してきました。その11龍福寺本堂下の発掘現場を見た。

山口市内を散策してきました。その11龍福寺本堂下の発掘現場を見た。

龍福寺(大内館跡) その4

大内氏31代義隆卿辞世の歌碑です。山門から鐘楼を通り本堂へ行く参道のの右側にあります。

大分20年(1551)重臣陶晴賢の謀叛により大内氏31代義隆卿は大内御殿から長門の大寧寺に逃れました。この時大寧寺住職異雪慶殊和尚の弟子となり金剛経の経文を引用した。「討つ人も 討たるヽ人も諸ともに如亦露如電応作如是観」の辞世をよんで自刃されました。その意味は敵も味方も人の命は露のように、また稲妻のようにはかないという佛教の無常観をうたったものです。時に四十五才の生涯でした。(現地の説明板による)

 

龍福寺(大内館跡) その4

本堂の手前にある説明板です。

 

龍福寺(大内館跡) その4

発掘の現場は見学することができました。ます階段の右にある受付で申込書に記入します。ヘルメットを貸してもらえるので頭にかぶってこの左の階段を登ります。2階には横長に通路がってガラス窓越しではありますが中の発掘の様子を見ることが出来ます。

 

龍福寺(大内館跡) その4

足場が組まれているので見通しは悪くて、人の姿も確認しにくい様子でした。

 

龍福寺(大内館跡) その4

通路には調査内容についての文章や写真が一面に貼られています。これを見るだけでも勉強になります。

 

龍福寺(大内館跡) その4

足場の間から発掘の様子が少しのぞけました。地面に向かって何かされているよに見えますが、具体的にどんな作業なのかはわかりません。

 

龍福寺(大内館跡) その4

発掘現場をあとにして境内から山門の外に出ました。参道から龍福寺をみた写真です。正面の左の隅に「サビエル布教の井戸」があります。

 

龍福寺(大内館跡) その4

天文19年サビエルは大内義隆卿に謁し布教の許可を得て大殿大路の井戸の傍で初めてキリスト教の布教をしたといわれています。この井戸はそれを再現したものです。(現地の説明板による)

この布教の様子は亀山のサビエル記念聖堂の前に井戸とともに復元されてますね。

続きます。

(撮影日2009.01.09)