石碑には「右上方道 左萩道」と書かれています。継ぎがあたっているのは折れたので修復したのでしょうか。右側の石碑は最近のものですね。
正面突き当たりに高札場があります。
高札とは江戸時代から明治三年に廃止されるまでの間、一般の人に法令等を徹底される為に、街道の宿場や辻、名主宅前などの目立つ場所に幕府や藩の法度掟書、お触書、犯罪人の罪状等を書いて立てられた板札でこれを掲げる場所を高札場といった。(現地の説明版による)
白壁の家が残っています。右端にちらっと見えているのが高札場。
上の写真の反対側から反対方向。
上の写真をまっすぐ行ったところ。ここで左に曲がっています。吉田地区には東行庵をはじめ奇兵隊関連の史跡が沢山残っています。この道を行くと蓮台寺や常関寺、法専寺があります。
高札場を見たところです。「旧山陽道の街道筋にあり、江戸時代毛利藩本藩の所領として吉田宰判の代官所や本陣も置かれ宿場町として栄えた。」と石碑には書かれていました。
では。
(撮影日2009.01.17)