ヘルマン・ヘッセ「春の嵐」を読んでいます。
ヘルマン・ヘッセ「春の嵐」を読んでいます。

ヘルマン・ヘッセ「春の嵐」を読んでいます。

コロナの夏。家にこもって読書が楽しい。コロナでなくても本を読んでいるので特別な夏ではないけれど。

みなさん暑い夏をどうお過ごしでしょうか。水分と塩分補給で熱中症にならないように気を付けください。私は持っていくマグボトル700mlのお茶では足りなくて、毎日自販機でペット飲料を買っています。このところのお気に入りは「GREEN DA・KA・RA ミルクと果実」です。(持っていくお茶はイチョウ葉茶です。)

さて仕切りなおして読書を始めた夏ですが、8月3日からヘッセの「春の嵐」を読み始めました。長いこと本棚の中にありました。いつ買ったのかも覚えていません。(ヘッセはあと3冊ほど備蓄があります。)

今朝のこと5章まで読み終わりました。ここまでで151ページです。15日かかっているので1日約10ページしか読めていません。めちゃ読むのが遅いですね。

メモを取りながら、気になったところを書き写しながら、書けない漢字の練習をしながらなので、そうなっちゃうんですよね。ゆっくり読み進めているだけに理解は深いような気はするのですが、場面の切り替わりがわかりにくくて流れをとらえるのに苦労します。

時間の経過がわかりにくくて、いったい今がいつなのか、前の場面が終わってどのくらい時間がたっているのか、で主人公のクーンがどこにいてなぜなこんなことをしているのか。

これはヘッセが33歳の時に書いた小説です。なので、主人公は生き方が刹那的で迷いでいっぱいなのは当時のヘッセ自身の考えを表しているのかもしれません。

青春とは何?、人とかかわるということはどういうことなのか、音楽を通じて自分と向き合い、孤独を感じ、知らない愛を感じようとする。私は孤独がテーマだと思うのですが、他の方のレビューなど読むと真の幸福を問う物語だと書かれています。

私は自分が幸福だとか不幸だとかあまり考えないので、人の不幸や幸福にも関心があまりありません。幸せそうに見えても実は不幸のどん底であるとか、逆に不幸に見えても心は豊かな人の話はよくあることですからね。

読み終わったわけではないので間違っているかもしれませんが、4章までは序章みたいなもので主人公クーンのバックボーン、交友関係などが描かれます。そりの事故で足が不自由になったリディや友人たちとのエピソードは、そのこと自体が物語に影響がほとんどないので、もっとさらりと流すか、でなければ後半に重大の影響を及ぼすエピソードとしてじっくり書き込んでもらってもよかったような気がします。(後のケースだと物語自体が変わってしまいますが。)

物語が動き出すのは5章から、音楽家のクーンは作曲したオペラの歌を(唯一の友人であるオペラ歌手の)ムオトと(愛しの)ゲルトルートが声を合わせて美しい声で歌っているのを聞いて、彼らが愛し合っていることを悟ります。

自殺しようとしてすべてを片付けて家に帰ると父親が危篤の電報が届いて、父親のもとに駆け付けるのですが、それがなければ自殺していました。

彼女は小声でクーンに「さようなら!」と言ったあと、こう続けます。「私が悪いんじゃありませんわ。私とハインリヒ(ムオト)のことをわるくお思いにならないで」

自分に求愛してきた男に、悪いのは私を勝手に好きになったあなたでしょ。と言っているようなものです。こういう言葉を吐かせるヘッセは素晴らしい。人間は関心がない相手に対して冷たいのは普通の事です。

ゲルトルートはこういう言葉を言う女なので、孤独なクーンにはふさわしくない気がします。だからこれで良いのだと思います。

さて、これから起承転結の結なので楽しみにしています。

では、暑さに負けずに夏を乗り切りましょう。