大江健三郎の「燃え上がる緑の木」。第二部の揺れ動く<ヴァシレーション>です。(Vacillation=ゆらぎ、動揺)
第一部「救い主が殴られるまで」を読み始めたのが9月25日。で、読み終わったのがつい先日の10月19日です。頭がエンタメ寄りになっているので理解できないところは何度も読み返して毎日少しづつ読み進めてきました。
前も書きましたが、読みながら、(真似したいと思うような)情景描写の素晴らしいところ、キーワード的なものが書かれているところ、気に入った文章などを、(鉛筆で線を引く代わりに)ノートに丁寧に書き写します。ところどころに感じたことを書いたり、(書けない漢字を筆順を確かめた後に)漢字の練習をしながら読んでいます。
物語の語り手は四国の森の中の村の「屋敷」に住む「サッチャン」。サッチャンは両性具有で男と女の両方の性器を持っています。サッチャンは少年として生きてきて、ある男性との性交渉をきっかけとして女性として生きていくことを決意します。(このあたりが村上春樹の描くセックスと違っているところですね。)
サッチャンを保護していたのは屋敷にすむ、「バーバー」と呼ばれる老婆で、森の伝承や霊的なものを受け継ぐシャーマン的な存在でした。
救い主となる隆は学生運動から逃れて、外交官の父親の故郷であるこの村に住むつきますが、バーバーが彼のことをギー兄さんと呼び始めたことでバーバーの後を継ぐ者として村の人に認識されるようになります。そしてバーバーが死んだことで物語が先に進むことになります。
燃え上がる緑の木三部作は1995年の新潮社から刊行されて、私が持っているのは3刷のもの。1987年の「懐かしい年への手紙」の後日譚ということですが、先のギー兄さんがなぜ死んだのかは次第に明かされていくので、読んでいなくても大丈夫だと思います。
1巻は物語としてはバーバーが死んで、ギー兄さんが救い主となって教会を作るようになるまでが書かれています。サッチャンの思い切りの良さ、隆の優柔不断さ、隆の親である総領事の考え、作家のK伯父さんとK伯父さんの旧友の息子である音楽家のザッカリー、救世主を疑う粘液質の花田新聞記者。登場人物は変態ばかりです。で、非常に面白いです。
一番頭に残っているエピソードは、隆を糾弾する集会の前に、「バーバーの死体」が人造湖から流れてくるくだりです。めちゃくちゃシュールで目の前にその情景が(想像される以上の感覚で)大写しになりました。
救い主となりかけたギー兄さんが、なぜ殴られなければならなかったのか?。
ギー兄さんがここから逃れるのでなければ、救い主になるための試練。死んだわけではないので真の救い主として復活するのではないかなと想像します。
では。