女を抱く。ゲバルトを行使する。けれども、まだ何か足りない……。溢れる青春の激情に、行き場はないのか!?奔放な生活感情のおもむくままに、苛酷な内ゲバ闘争に参加し、誤って人を殺した若者の、寄るべない魂の慟哭——。70年代初頭の時代風俗をまるごと写しとりながら、激しかったわれらが青春の<<罪と罰>>を、しなやかな感性のドラマに仕上げた記念碑的作品。
裏表紙のあらすじ
ビールを飲んでいて、十五夜を見るのを忘れました。なので少し欠けた十六夜の月を見ました。月はまだ空に浮いていなくて、山の端に半分かかっていました。じっと見ていると、月がすごく早く上っていきました。写真を撮ると目で見るのと違ってとてもちいさく写っていました。残念です。
ということで、暑さもコロナも少しは落ち着いてきた今日このごろですが、みなさんお変わりありませんでしょうか。お元気でしょうか。
先日のこと Google Drive がいっぱいですよ というメールが来ました。そのままにしておくと Gmailと写真の同期ができなくなりました。写真をたくさん撮っていたからでしょう。メールが受け取れないととても困ります。
250円で100GB、Googleにお金を払おうかと思いましたが、約10年分のメールを削除してみました。するとなんとか2GBの空きができました。しばらくはこれでしのぐつもりです。ただ、あまり長くはもたないような気がします。
さて、立松和平の「光匂い満ちてよ」を再読しました。9月4日に読み始めて、9月22日に読み終わりました。朝起きて出勤するまでの時間と夕食後に読みました。読書時間は11時間31分でした。ちょっとかかりすぎです。この半分くらいで読みたいものです。
タイトルにある「てよ」というのは希望なのでしょうか祈りなのでしょうか。主人公にかけている言葉のように思えます。タイトルだけではどんな小説なのか全くわかりませんね。裏のあらすじを読んでも雰囲気だけしかわかりません。読んでしまった後だと書かれた意味は分かります。
これは大学紛争の内ゲバで人を殺してしまった男の物語です。再生の物語ではありません。落ちていく話。リンチを受けやりかえし、あやまって人を殺して罪の意識にとらわれる。
主人公は人を殺したことから逃れるため、今の目の前で起きていることにのめりこみます。闘争し、セックスし、剣道をし、次々と嘘をつきます。
明るい話もあります。高校時代の弓道に打ち込んでいたときのこと、内ゲバから逃れて実家の酒屋に戻って来たときのこと。闇の中でほんのひととき輝いたこれが青春ともいえる話。人を殺していなければ戻ってくることのできた明るい世界での物語。
主人公の生き様をたどっていくと気分がどんどん沈んでいきます。いくつもの場面で、いやいや違うだろ、と思い、なぜ断らないんだ?、なぜついていくんだ?、なぜ女を買うんだ?、なぜ実家に帰らないんだと考えます。行動するたびに明るい未来が遠ざかっていきます。
ですが次第に思ってくるのです。もしわたしが同じ時代に同じ立場で同じ空間にいたら私だって同じ行動を取るかもしれないと。流されずにやっていけるのかと。
立松和平の文章には単語が次々と出てきます。(私にはとうてい無理、こんな文章はとても書けません。)その単語の羅列の中で場面が動き、感情は無くなり、世界が移っていきます。この物語にはぴったりです。
立松和平の本は今ではほとんど読むことができません。電子書籍も何冊かしかありません。この本も絶版です。こういう物語は生理的に駄目な人もいると思いますが、私は(こういう何が出てくるかわからない)混沌とした小説は好きです。
もし古本屋で見つけたら、買って読んでもらえるとうれしいです。
では。