漂泊の詩人、種田山頭火が昭和7年9月、50歳の時から、昭和13年10月までの7年間住んでいたのが山口市小郡山手(やまて)にある其中庵です。
現在の家はふるさと創生事業として平成4年3月に復元されたものです。農協会館のある長谷(ながたに)から栄山公園(さかやまこうえん)までは、私が子供の頃の遊び場だったのですが、高校時代の古文の先生に教えられるまで、山頭火のさの字も知りませんでした。
国道9号線山手バイパスから其中庵までは住宅街で道も狭く、家が沢山建ち並んでいます。道路から聞こえてくる車の騒音もここまでは届かず、とても静かな場所です。其中庵の前には柿の木が植えられ、その前を梅の生け垣が覆っています。
其中庵の扉は自由に開けて出入りすることができます。思ったより狭いです。
土間のかまどです。
写真で見る山頭火の衣装がふすまにかけてあります。
「其中一人」これは自筆のコピー?。
其中庵のいわれ
山頭火が好んだ言葉に、法華経の普門品第二十五にある「其中一人作是唱言」という一節があります。意味は災難に遭った時、又は、苦痛に苛まれた時に、其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩は直ちに救いの手を差し伸べられて、皆を救われ、悩みから解き放たれるという意味で、山頭火は結庵する時には庵名を、この一節の中の「其中」にすると決めていました。「其中庵」の語源は、この「其中一人」を自分に置きかえて、その一人が住む庵ということで「其中庵」となったのです。(現地の説明板による)
では。
(撮影日2009.02.06)