2023年6月熊本城と天草であじさいを見る旅 その2夏目漱石内坪井旧居
2023年6月熊本城と天草であじさいを見る旅 その2夏目漱石内坪井旧居

2023年6月熊本城と天草であじさいを見る旅 その2夏目漱石内坪井旧居

12時少し前に最初の目的地、夏目漱石内坪井旧居に到着しました。

事前に駐車場の場所を調べてなかったので、最初に通ったときに駐車場を見つけることができませんでした。戻ってきてやっと看板を見つけることができました。この看板は奥にあって小さくて道路からは気をつけていないと見つけることができないと思います。この看板の奥に見えているのが夏目漱石内坪井旧居です。

駐車場から垣根に沿って歩くとすぐ門が見えてきます。当面の間、入館料は無料です。

この写真は2001年に家族旅行で来たときの夏目漱石内坪井旧居です。このときは息子が一緒でした。

正面玄関を入るとすぐ右に事務所があります。中から着物姿の男性が出てこられて、夏目漱石内坪井旧居の説明をしてくださいました。15分くらいでしたが、とても丁寧に話してくださいました。

夏目漱石が熊本に住んでいた時代は、まだ小説を書く前だったそうです。漱石は正岡子規と友人だったので、俳句を作って添削してもらっていたそうです。

その時の俳句が部屋の中に展示されていました。俳句には丸印が2つとか3つとかつけられていました。できの良し悪しだと思います。この俳句は著作権の関係で撮影禁止でした。

夏目漱石は明治29年(1896年)30歳の時に第五高等学校(熊本大学)の英文学の教授として熊本に来ています。熊本に住んでいた4年3ヶ月の間に6回転居したそうです。この「内坪井旧居」は5番めのに住んだところです。

内坪井旧居が震災で公開できなくなった時、急遽3番めの「大江の家」を公開したそうです。そのため今でも「大江の家」には内坪井旧居の資料が残されているとのことでした。

6番目に住んだ北千反畑にあった家は一般の方が住まれていて見学はできないそうです。いずれ熊本市が買い上げて見ることができるようになるでしょう、とのことでした。

内坪井旧居が公開が再開されたのは今年の2月です。

2001年当時の写真がボケていて、この部屋の写真が載せられないのが残念なのですが、掛け軸とか机の上に置かれているものが違っています。熊本市のサイトに載せられている写真が当時ものとよく似ている気がします。全てが落ち着いたらこの形に戻るのでしょうか?。

夏目漱石内坪井旧居 | 観光地 | 熊本市観光ガイド

この部屋の写真はなんとか見られそうなので載せておきます。机に向かって原稿を書いている漱石の左手が猫の上に置かれています。息子は何度も何度も漱石の左手と猫を動かして遊んでいました。この左手は動かせることができていたのです。

漱石はいまだに人気がある作家のようです。全集も何度も発刊されています。1975年に大学で2番めにできた友人が、いま出ている岩波の漱石全集を全部買うんだ、と言っていたことを思い出します。夏目漱石を読むんだ、と感心したのでよく覚えています。わたしは坊っちゃんしか読んだことがありません。KindleのKDPで夏目漱石全集を買っているので、これを機会に読んでみようかと思います。

日曜日だからか、滅多に来る人がいないだろうと思っていたのに、お年を召した女性や、若い女性の二人連れ、一人でこられた若い男性と、次から次に見学者が来てました。男の方はどこから来たのか聞かれて富山県と答えていたのですごく驚きました。

この家は部屋数がすごく多くて、広い家だったのですが、漱石が住んでいた後増築されていて、当時の倍くらいの広さになっているとのことでした。

12時45分、次の目的地熊本城へ向かいました。

続きます。