雨にきる
我身の代に
かへななむ
ころもをゐてふ
あさの里人
建徳一(一三七一)年十月八日
当寺にて
山陽小野田市の洞玄寺にある今川了俊の歌碑です。
山陽道歌人の足跡
歌人今川了俊(貞世)
室町幕府から九州探題として太宰府に派遣された道中の旅行記が有名な「道ゆきぶり」である。建徳2年(1371)10月8日、当寺に一泊して詠んだ歌は、厚狭の地名を詠み込んだ最古の歌と思われる。
連歌師宗祇
山口から太宰府への紀行文「筑紫道記」の文明12年9月8日(1480)の頃に、当寺の利生塔に触れている。
狂歌師 蜀山人(大田 南畝)
長崎よりの帰途を書いた「小春紀行」には「下津洞玄寺道五町といへる石表あり」文化2年(1805)と書かれている。この石柱を、旧山陽道、浴付近よりこの場所に移した。
(現地の手書きの説明板による)
洞玄寺本堂。盆前ということでお経が聞こえていました。洞玄寺山門をくぐってすぐ右手にあります。洞玄寺は国道2号線をJR厚狭駅に向かう途中にあります。
では。
(撮影日2008.0810)