木屋川ラブリバーパーク
木屋川ラブリバーパーク

木屋川ラブリバーパーク

木屋川ラブリバーパーク

最初はラブリーパークかと思いましたが、ラブリバーパーク。写真は土手にあるラブリバーモニュメント。

 

木屋川ラブリバーパーク

5本指の手かと思いましたが違いました。手がある理由がわかりません。

 

木屋川ラブリバーパーク

木屋川ラブリーバーモニュメント
このモニュメントは、この木屋川に「ポチャン」と川に石を投げ込んだ時に生じる水の跳ね上がりイメージしています。木屋川に石投げをして遊ぶ子供たちの姿 や、魚の飛び跳ねる姿が見られ、いつまでもきれいな川であることと、人々に愛される木屋川”ラブリバー”になることへの願いを込めています。 山口県・下 関市(下に埋め込まれている説明版による)

 

木屋川ラブリバーパーク

桜並木と同じ並びにあるので、気に隠れて目立ちませんが、とても大きなモニュメントです。面白い形と色をしているので、見つけると、とても気になります。

 

木屋川ラブリバーパーク

ラブリバーモニュメントの説明書きにあるように「いつまでもきれいな川であることと、人々に愛される木屋川」を象徴するきれいな広い公園です。

 

木屋川ラブリバーパーク

自転車が土手の桜並木を通ると、まるで昔の日本映画のワンシーンのように見えてしまいます。

 

木屋川ラブリバーパーク

公園の入り口に慰霊碑が建てられており、その手前に「王喜地区ふるさと活性化推進事業実行委員会」の説明板が建てられています。

 

木屋川ラブリバーパーク

慰霊碑とその周辺
ここは寛文八年(1668年)王喜開作の堤防上で、また、現在の桜並木の始点でもある。昭和二年(1927年)国道がここを通ることになって、木屋川に鉄筋コンクリートの橋が架けられた。当時、王喜村は厚狭郡に属し対岸小月町は豊浦郡に属していたので、この橋は豊厚橋と名付けられた。王喜遺族会は、慰霊碑建設を発願し多くの篤志家の賛同を得て平成二年十一月三日(1990年)竣工の除幕式を行った。この場所は、かつての村境であったので、勇士たちは故郷を見返り、万感胸に秘めてこの橋を渡って行った。そうして生きてふたたび故郷の山河を見ることのなかった英霊に、「お帰りなさいふるさとを眺めて安らかにお休みください」という願いが込められた慰霊碑である。平成五年十二月(1993年)に竣工した木屋川ラブリバーパークも立派に完成し、町民の憩いの場になっている。下手に渡っている大きな鉄管は昭和五十年(1975年)王喜に上水道が敷設されたとき架けられたものである。 平成七年三月(1995年)王喜地区ふるさと活性化推進事業実行委員会
(現地の説明板による)

 

木屋川ラブリバーパーク

公園にはテニスコート2面、ゲートボール場2面、運動広場があります。

 

木屋川ラブリバーパーク

運動広場で、ゴルフの練習をしている人がいました。

 

木屋川ラブリバーパーク

公園は直接車で降りられるようになっていて、沢山の車が休憩しています。

では。

(撮影日2009.04.15)


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