港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社
港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

国道に面してる大歳神社一の鳥居です。ここから参道の階段が見上げるように続いています。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

鳥居脇にある鳥居の説明板。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

御由書
寿永四年(1185年)、平家追討の任務を受けた源義経は、壇乃浦の合戦に望んで、己が武運の守護と頼む富士浅間の大神の神助を請い、敵の陣小戸を隔て呎尺の間にある有明山の山麓に小松(富士川の合戦以来担いできた「富士の小松」)を植え、篝火を焚き、七日七夜の斎戒を修め戦捷祈願をした。その後、神前に捧げた桑の弓矢を以て、開戦矢文を対岸の平家の布陣に射込んだ。平家統帥の知盛はこれに驚き壇乃浦に軍船を進めた。壇乃浦には範頼の部隊が待機しており、義経軍との挟み撃ちに合い、敢え無く滅亡したと伝えられる。
翌文治二年(1186年)に、付近の漁民が神司を祀ったのが、大歳神社の起源とつたわれる。武運長久の神としてのご神威は年を追って光輝き文久三年(1863年)、奇兵隊の発足に際し、高杉晋作は旗揚げの旗を大歳神社に奉納、また白石正一郎は攘夷成就を祈請して大鳥居を奉納した。明治七年(1874)村社に列せられる。明治十五年(1940)関門鉄道トンネル工事の際。社地は鉄道線路敷設に接収され現在の小山に遷座された。(現地の説明板による)

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

「港がみえる丘の径」はここ、大歳神社の大鳥居から始まります。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

この階段は遠くからでもとても目立ちますね。階段の左右には背の高いビルが建っています。右はビジネスホテルです。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

階段を登と見えてきた鳥居と拝殿。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

振り返るとこんな感じです。階段が急だったのがよくわかります。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

手水舎。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

社務所。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

階段の途中にも狛犬がありましたが、この拝殿前の狛犬は新しそうです。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

左側の狛犬。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

末社。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

右に五社稲荷、左に蛭子八坂神社があります。

 

港がみえる丘の径 その1の6 大歳神社

境内からよく見える山口銀行本店です。回りには高い建物が多いので、ちかのですが海はほとんど見えません。

続きます。

(撮影日2009.05.13)


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