大村益次郎は医者で蘭学者で軍隊を率いた軍人。明治維新の立役者の一人でありながら影が薄いような気がします。お墓は長沢の池の少し奥、まばらにある住宅の奥、山の裾野にあります。地元では神社があるくらいなので、神として祀られているのかもしれません。
大村益次郎の墓の右に奥さんの墓があります。
大村益次郎は鋳銭司の医家に生まれた。長じて洋学・医学を学び後に兵学をもって毛利藩に仕えた。幕府の長州征伐に際しては防長の四境にせまる幕軍に対し、身についた様式兵法をもって、これを破り、倒幕の機を早めた。戊辰の役にも参謀として大功があった。明治維新後は新政府に仕え兵部大輔となり廃刀、断髪をとなえ、また大いに建議して軍政の改革を唱えた。しかしそれがため旧思想の武士たちの反感に会い、京都に出張中襲撃を受け、その傷のため二ヶ月後の明治二年十一月五日大阪の病院で没した。遺骸は瀬戸内海を船で郷里に運びこの地に埋葬した。益次郎と並んで妻琴子の墓がある。東京靖国神社の社頭にある益次郎の銅像は、益次郎ありし日の英姿である。(現地の説明板による)
この石碑の横に鳥居が立っています。
これが目印。ここから入ります。
では。