先日、山口市宮野の清水寺に行ってきました。ここに来るのは初めてです。
山門の左右に「木造金剛力士立像」があります。これは向かって左側の山口県指定文化財。
参道は苔むして緑色になっています。勾配が結構きついうえ、段差があるので、登りにくい。
清水寺のもよりの国道は、県庁から防府に抜ける国道262号線で、車の通りも多くて賑やかなのですが参道への道を何メートルか入ると、とても落ち着いた静かな空気がただよってきます。ここは明の趙秩が詠んだ山口十境詩のひとつ「清水晩鐘」の地でもあります。
ここは山号を花瀧(ろう)と証紙、千手観音菩薩を本尊とする真言宗の寺です。縁起によると、平城天皇の御代(八〇六~八〇九)の創建と伝えられ、建久六年(一一九五)の国府文書には清水寺の事が記されているので、すでに鎌倉時代には創建されていたことがわかります。このことにより、山口盆地の寺の多くが大内氏全盛の室町以降の創建であることを考えると清水寺は山口盆地で最も古い寺といえます。なお境内には、山口県指定文化財が三件あります。一.清水寺観音堂 昭和四二・一・一七指定 二.清水寺山王社本殿 昭和四一・六・一〇指定 三.木造金剛力士立像 昭和五六・三・二四指定 (現地の説明板による)
参道の階段の途中に鐘楼がありました。氷上の興隆寺梵鐘のように鐘を突くことは出来ませんが、鐘が鳴ったとしたら、静止した空気が切り裂かれ震えて、趙秩が詠んだ詩のように、驚いてしまうだろうと思います。
清水寺観音堂。
この観音堂の建立は明応二年(一四九三)大内義興の時といわれていますが、江戸時代にたびたび大修理がされています。(抄。現地の説明板による)
山口県指定有形文化財 清水寺山王社本殿
この山王社は清水寺の鎮守として建立されたもので、室町時代mp大内弘世のときの鎮座と伝えられ、本殿の内部にある木碑に「応安七年甲寅三月」と墨書があるので、この社殿の創建は応安七年(一三七四)であることがわかります。(現地の説明板による。抄)
紅葉した季節に又来よう、そう思わせます。
では。