山口市八幡馬場にある今八幡宮。山口総鎮守 今八幡宮
社号額。
拝殿手前右。おみくじが結び付けられています。
手水舎です。
一の鳥居の右には大きな重要文化財であることを示す杭が立てられています。この鳥居は道の正面にあり、右に行くと陸上自衛隊山口駐屯地、左へ行くと八坂神社方面、左に曲がった後右に迂回すると、豊栄神社・野田神社、山口菜香亭があります。
階段横には「日参一万日成就」の碑があります。これは山口大神宮にもありました。
由緒沿革
社殿によれば、初め宇治皇子一座を祀り今八幡宮と称し、守護大名大内氏の山口入府以前から存した。この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代の弘安年間大内弘成卿の娘に「今八幡殿」という名が見えることから、これ以前の古社であることが判る。文明三年(一四七一)、大内政弘卿が朝倉八幡宮を遷して合祀し、社号はそのままに主祭神を応神天皇とし、他に三座が加列される。当宮は大内氏の居館(大内館)北東の鬼門除けにあたる守護として、また産土神であることから歴代当主の崇敬は極めて篤く、そのことは既に「大内氏壁書」のうち、文明十年(一四七八)政弘卿より布達された「今八幡宮条々」で、社領の保護や維持管理などを徹底していることからも窺える。なお、例祭日には歴代当主の代参が差遣され、義隆公などは網代車で社参し、自ら祈願している。(「参拝のしおり」より)
続きます。
(撮影日2009.08.26)