この写真は小郡から椹野川に沿って阿知須に向かう県道212号線沿いにある大浦古墳群公園です。
(今じゃ両地区とも山口市ですが)
道路のすぐ横に見えているのですが、国道から直接行けません。阿知須方面からだと、通りすぎてすぐ下に降りて、
それから道の下をくぐって、ぐるりと回って行くようになります。表示に従って行くと迷うことはないと思います。
公園の北側に「浦辺古墳群」、南に「大浦古墳群」、「梅ヶ崎古墳群」と3つの古墳群があって、この公園にはそれらから6基ほど移設されています。
歴史上に名前を残した方の墓であれば、もっと大きなものになると思いますが、これらの古墳は、こじんまりしてかわいいです。
このあたりを治めていた首長の墓に違いないでしょうね。
骨とかその他飾り物は出なかったのかな?。そのあたりの説明は書かれていませんね。
この古墳の向こうに道があります。車が走っているのが写っていますが、ほんとにすぐ横です。なんか不思議な感じがしますね。
これらの古墳は6世紀から7世紀はじめにかけて築造されたものです。
この県道は確か2001年の阿知須のきらら博のために作られたと思うので、その前に調査発掘されたものです。詳しくは下の説明板をお読み下さい。
浦部古墳群
6基の古墳からなる古墳群で、そのうち2基の古墳について調査が行われました。6世紀末から7世紀末までは古墳が存続していたことが確認されています。
大浦古墳群
約30基の古墳からなる古墳群と思われ、そのうち16基の古墳について調査が行われました。山口県では珍しい竪穴系横口式石室をもつ古墳が7基みつかりました。
梅ケ崎古墳群
16基の古墳で構成される古墳群で、そのうち15基について調査が行われました。最上位にある古墳からは鉄刀が3本出土しており、この地域の首長の墓であると思われます。
大浦古墳群公園
山口湾に面した山の斜面には、6世紀から7世紀の初めにかけて数多くの古墳がきずかれました。この浦辺・大浦・梅ケ崎地区にも以前から古墳があることが分かっていましたが、「一般県道山口阿知須宇部線」が建設されることになり、
遺跡が壊される前に山口県教育委員会が平成8年度から平成10年度にかけて発掘調査を行いました。調査の結果、3地区で33基の古墳が発掘調査されました。そのうちの6基をこの場所に移設して、嘉川地区の歴史の一端を後世に伝えることになりました。発掘された古墳のほとんどは、すでに石室(遺体を葬る部屋)の天井の石が無くなっていましたが、
公園中央の大浦4号墳は、天井石を乗せ、墳丘を盛り上げ、当時の姿を復元したものです。また、「竪穴系横口式石室」と呼ばれる、九州に多く見られる石室を持つものや(大浦1号・2号墳)死者を葬る部屋(玄室)の手前にもうひとつ小さな部屋(前室)を設けた複室構造の石室をもつもの(大浦12号墳)も見つかりました。
では。
(撮影日2009.06.14)