山陽小野田市の新沖緑地ふれあい広場。広場の回りは木が植えられています。
パーゴラのベンチ。数はありますが、壊れてますね。これだとゆっくり座れない。
野外ステージの柱の頭の部分。ん~、ギリシャのパルテノン神殿風。
中央広場。
「あそぼ」という詩が刻まれてます。詩は「村中李衣」彫刻は「田村務」。
村中李衣についてはこちらから。 村中氏が山陽小野田市出身だからではないと思います。「泣きみそ」ってのが面白い表現。
田村務についてはこちらから。下関みもすそ川公園の松本清張文学碑、東行庵中興三世玉仙大和尚像もこの方の制作。
こんなところに傘と長靴が。元気よく遊んでいて、一休みってとこかな。
炭田の地層を再現したもの。
説明板。
かつては石炭を五平太(ごへいた)とよび、石炭・鳥石といって、家庭の燃料用だったことが寛文12年(1672)の「高泊御開作新田記」に記され、明和2年(1765)頃から三田尻その他の塩田の燃料になり、有帆や船木の石炭を有帆川尻から船積していました。その頃は有帆からの出炭量が多く特に多く、有帆炭と呼ばれていました。明治6年(1873)「日本杭法」が公布され、民間での炭鉱事業が盛んになり、この地域は新沖の山炭鉱の跡地です。戦後の最盛期には、大小13の炭鉱がありましたが、燃料が石炭から石油に変わり、昭和38年には小野田の炭鉱は、すべてその姿を消しました。ここでは、炭田の地層を再現したものです。(説明板による)
日本語がおかしいところがありますが、説明板を作成するときに校正とかしないのかな。
水の広場。といいながら水は干上がってました。左の東屋風の休憩所から眺めると風情があっていいです。
遊歩道に散らばっているどんぐりの実。
では。