「鏡山お初」って知ってますか?2号線印内交差点を九州方面に曲がるとすぐ右に「烈婦鏡山お初生誕の地 影鏡山妙真寺」という大きな看板があります。お寺はお墓があったり、ここもそうですが幼稚園などが併設されていたりして、どうも入りにくい雰囲気があります。というのは、私のようなおっさんが何のために幼稚園ですか、他人が見るとまるで不審者ですよ。交差点が近いので、妙真寺の前の2号線は「びゅんびゅん」車が通りすぎていくんですけど、車の通行量に比べると人通りは少ないです。
以前近所に住んでいて、妙真寺の前を通るたびに気にはなっていたのですが、気になるだけで通り過ぎていました。今回初めて門をくぐって中まで入ってみました。外からだとわからなかったのですが、すぐ左にこの石像があります。
烈婦鏡山のお初の事
今から約二百五十年前(元禄十四年)長府印内に生る。十四才の時すでに毛利藩剣道指南役、時枝平八郎に剣を学び奥義に達していた。母は既に他界しある時父助八が役務牢番中、人の難儀を見かねて脱牢させた情が仇となり、住み慣れた長府を後に父子は江戸へ流浪の旅となる。ある事情により松平五万八千石(島根県浜田城主)江戸詰屋敷の奥女中尾上(お道)の側女中となる。御殿では侍女頭岩藤は尾上の才媛をねたみ度重なる無情な迫害を加え岩藤は殿より預かった草履で尾上の面体を打擲その辱めに悩み遂に自害となった。下女お初(お察)は恩ある主の為、仇討を決意し唯一人御殿に乗込み敵岩藤を討ち果たす。お初は敵討ち本懐後、牛込の日蓮宗清隆寺日遵聖人に帰依剃髪、名をお初(察)改め法号を妙真尼と号し。尾上、岩藤二人の怨親平等の菩提を修正祈った実在の女性である。
明治元年六月二十三日六十八歳の障害を千葉県香取郡中村の郷、日蓮宗妙興寺の一隅の草庵で入寂す。当山妙真寺はその誕生地。お墓は妙興寺より分骨の上祀る。
(現地の説明板)
この妙真寺にはそのお初誕生の「産湯の井戸」、「お墓」があり、お初の尊像が祀られているそうです。以前紹介したことこともありあますが、こちらも参考に
加賀見山旧錦絵 見ごたえある顔合わせ
お初の顔のアップも撮したのですが、お初が撮すなといったみたいに、ピンボケで写っていてとうていここには載せられませんでした。
では。